2021年から始めた自分探しの一環として、多くの団体で活動を通して自分を形成していくと同時に新しい道が見えてくる、2021年初めから2023年初めまでの2年間の軌跡です。
里山の緑地保全活動
前の記事にも書いたけど、全てはここが原点がだった。なんならもっと昔、このフィールドは僕が小さいときによく遊び、探検し、自然の神秘に気づかされた森のことでもある。大人になってここに回帰してまた人生が回り始めた最初の歯車だ。
活動の内容は基本的には草刈り作業だが、活動を通してなぜ森で笹刈りをするのか、という単純な疑問も少しずつ知るようになった。目の前を観察するのではなく年間を通して全体を見通すことでわかることも増えた。同じベテラン作業員から動植物や植生の知識を教えてもらい、その植物のこと、地形のこと、人間との関わりなどが分かるようになり自然を相手にした活動の興味が湧いてくるきっかけとなった。
プレーパーク(冒険遊び場)
きっかけは近所でで開催されていたプレイパーク(冒険遊び場)という団体を見つけ、単発イベントではない、常設されているプレイパーク施設でボランティアとして活動するようになった。そこでは学校に馴染めないがこの場ではリーダー的な存在の中2のシンゴとの出会いから始まった。たまたま当時来ていた服が抹茶色だったことからニックネームが「まっちゃ」と命名される。これは今後を左右するくらい、ひとつの大きな出来事だった。
ここは工具を使ったものづくりも焚き火も秘密基地づくりも栽培も全て自由にできる素晴らしい場所だった。きっと初見のこどもたちは馴染むまでは戸惑ってしまうけど、全ては自由、やりたいことをやれる場所。遊び方が決まっている安全な遊具がある公園とは正反対の施設で、僕のもともと持っていた素質を発揮することができるように成る。キャンプでの火起こしやロープワーク、登山の知識、自然あそびの経験がとても役に立ち、子どもにもとても好かれ、自分も心地が良い。子どもを相手にした活動が性に合っているのかな、と思うきっかけにもなった場所だ。子どもの居場所としてはあるべき場だと感じた一方、ここは少なくともここに意思を持って来てくれる子どもたちが対象になってしまう。感覚的に僕がやるべきはもっと、広い場所を求めていたように思う。
子どもキャンプ
そんな経験を経て、子ども対象の自然体験活動を提供している団体と巡り会うことになる。出会いは自然体験活動の資格を取った際の、講義やフィールドワークを提供している団体だった。地元で昔から活動しているNPO団体で、主に大学生ボランティアをスタッフとして子ども対象のキャンプ事業を提供している。
ここでは本当に多くの学びがあり、自分を鍛え直す良い経験にもなった。なんども動線を考え予習しレクを考えレポートにまとめ、論文を用いた勉強会を行い、事前の現場整備活動をやったりととにかくボランティアでここまでやるか、というくらい詰まっていた。キャンプ場は山梨の古民家での実施が多く、ここで初めて刈払機を使い、栽培収穫をしてその場で料理をしたり、粉からうどんやピザをやったり全てが新鮮な経験と同時に本当に体育会系の厳しさがあり常に緊張感のある場でもあった。
そこで、最大の夏キャンプイベントの2週間を経験する。代わる代わる来る子どもたちを担当し、レクを考え、夜中までレポートを書き毎晩怒られながら全ての事柄は自分ごとだと思えというパワーワードを叩き込まれた。明らかに理不尽でしょなんて思うこともたくさんあったり、しかしそんな体育会系の環境で揉まれながら、たくさんの経験ができたなかで思ったことは、子どもたちは長期キャンプで心や行動に変化があり成長するということ。僕たちも長期のキャンプを通してでしか見えない世界を感じたり、汗と涙を共にしたスタッフと子どもたちとの出来事は忘れることはない。
ここで正規社員としての働くチャンスもあったが結局夏キャンプが終わる頃には離れることになる。働き方、という側面において、きっと僕自信は自然体ではいられないだろうと感じた。活動自体は社会に対して素晴らしいことをしているなと感じるも、ここもやはり閉鎖的に思えてしまったことも要因であった。自分にはどんな場が向いているんだろう。やりたいのは子どもの自然体験なんだけど、何かが違う。そんな感覚だった。
市民環境活動
緑地保全活動のイベント時に市内の環境市民団体の代表とお話する機会があったことがきっかけだった。地元の環境や歴史、土地、風土、植生のことをよく知り環境問題に取り組んだりまちづくりをする社会貢献活動をしていることで興味を持ち入会することになる。そこでは市民花壇活動や、湧水量の調査、崖線の緑地保全、小学生の環境学習授業などに携わせてもらった。その中でも、農園活動を主体とした農園塾という活動にメインで参加することになった。農園塾では仲間と協働で耕作をし、健康促進や栽培技術の向上などを目的に自分の区画で自分の畑を持つことができた。ただ栽培するのではなく収穫した野菜を子ども食堂に提供することで社会貢献をしている活動だ。ここでベテランのスタッフに耕作技術を教えてもらっているとある話をしてくれた。
数年前からこの団体は市に対して農業公園の設立について呼びかけていたこと。実現した農業公園は自宅のすぐ近くにあり、そこでは定期的に市民に対して収穫体験イベントなどを実施しており、その運営業者が、近年貸し農園事業などで急拡大していた農業ベンチャーであった。興味を持った僕は、どんな企業だろう、と調べてみるとたまたま農業公園でのアルバイト募集がありとりあえず応募してみることになった。この頃にはなんとなく、農と子どもの掛け合わせで自然体験、みたいな方向性に興味を持ち始めていた。
農業ベンチャー
募集内容は農業公園の農作業やイベントの補佐というアルバイトの募集だった。この時期から少しずつ、ボランティアとしてではなく給与をもらいながら活動できる方向で道を探っていたから、自宅からも近いし子ども向け事業と畑で活かせる経験がたくさんありそうだということで応募する。
履歴書、経歴書を送りいぜ面接をしてみると、面接官(その後の上司にあたる人だった)から逆提案されたのがインターナショナルスクールでの勤務が合っているんじゃないか、ということだった。そこでは農場を管理しながら授業の一環として農教育のようなことがやられており、その活動を委託されてウチがやっているとのことだった。
すぐに採用が決まり、2021年11月から勤務が始まる。そう、ここが今の私の勤務地になる場でもある。
今思えば本当にこれ以上ないタイミング巡り合わせでの応募だったし、この農園は雰囲気も瞬時に気に入り自分の知識や経験が全て活かすことができると直感的に感じた場であった。授業は英語で戸惑いながらも今までの知恵を最大限に使い、講師のような立場で畑の授業をしながら畑作業を細かく教えてもらう日々だった。
当時ここでの勤務は週2日だったが合わせて貸し農園の整備事業部門でも週2日くらいで働き始める。整備ではさらに高度な鉄パイプを使った小屋づくり、チェンソーを初めて使ったりやトラクターでの整地、樹木の剪定方法も学ぶことができて刺激的な学びの毎日が続いた。
学校での勤務は社員の1人と私含めたアルバイト2人の構成で農園管理をしていた。
栽培を教えてもらいながら、ここでパーマカルチャーという言葉と出会うことになる。アルバイトのもう1人は農を軸にした暮らしをずっと続けているベテランで、自宅ではミツバチと鶏を飼い、いわゆる持続可能な暮らしの実践をしている方だった。この人との出会いがきっかけで2022年3月からパーマカルチャーについて深く学び、現在の生き方の軸となってくる。この出来事については後述する。
2022年の4月から、もう一つの学校農園も兼務することが決まる。アルバイトながらフルタイムに近いかたちでの勤務が始まる。ここはインターナショナルスクールの農園とはまた異なる雰囲気で、果樹があり樹木が多く整然としていながらも住宅街のなかで自然豊かな環境が残されている感じである。大規模農場のような管理方法と、梨と葡萄の果樹管理、樹木剪定、堆肥づくり、農機の扱いなどさらに多岐にわたる学びがあった。またフィールドを活かした自然体験学習なども担当し、「まっちゃ」のニックネームも最大限に活かしてすぐさま人気者になれるような経験を通して農教育の分野において飛び出た存在感を示すことができたことにより、半年間でバイトの時給が1100円から1750円に大幅アップという、過去に例のないほど実績を残す。アルバイト社員ではトップランクの社員になることができた。
栽培に関してはジャガイモとサツマイモだが、その二つに特化した学びの要素だったりブドウとナシの管理の大変さを体感することができたことは今後の将来の方向性として非常に役立つものだったし、さらに耕運機、チッパー、ユンボといった農機が自由に使える環境から、ユンボ、フォーク、大型特殊などの重機免許を取る機会にもなった。先輩社員とタッグで農園を作り上げていく毎日はとても刺激的だし、自分の役割、存在意義には満足でき、自信をつけていくことができた。
そしてガーデンティーチャーに
ここまで本当にいろんな繋がりで成長してきた僕は、そろそろ選択する時期に来る。
今までのようにボランティアやアルバイトや流石に生活が不安定なこともある、将来についてどう生きたいかを決める時でもある。
2022年の終わりくらいには僕の腹はある程度決まっていた。僕はガーデンティーチャーになりたい。
教育の場で農を通した豊かな暮らし自然の美しさを全ての生徒に教えていきたい。
変化が訪れたのはその年の終わりだ。インターナショナルスクールでの委託契約が任期満了となり、来年度以降は更新をしないと告げられてしまった。僕たちは来期も契約できるよう、必死に学校と調整を積んできたが、契約はできないとなってしまう。
その話し合いの場で僕は一つだけ訴えたことがある。「契約やらお金などの大人の事情で、子どもたちがこの教育の機会を奪われてしまうことは絶対にダメだ。僕は子どもを守る立場でいたい」
本心だったし、子どもの意見も抜きでこの農園がなくなってしまうことはどうしても許せなかったから。
2023年の正月。
年明け一発目の凍える農園で作業していると、たまたま校長先生と出会う。そこで提案を言われた。
「来期は学校の先生として、このガーデンをやってみないか」
今後は僕1人で、この広大な農園を作り、正式な科目としてガーデン授業を確立させるために教員として働きながらガーデンを作っていくという使命を与えられた僕は正式にガーデンティーチャーとしてのキャリアが始まる。2023年4月のことである。
ここまでが私の現在位置に至るまでの経緯だ。
今でも思う。巡り合わせ、歯車が合うというのはあるんだなと。少しでもタイミングが合わなければここの道に来ることはなかっただろう。しかしなぜか、目指すべき方向性を信じて進むと繋がっていく不思議な体験をしたように思う。
もちろんここに至るまでのたくさんの寝る間も惜しまない努力もした。その努力の結果だろうとも言うこともできるかもしれないが、少なくとも私1人で切り開くことはできない領域までも味方してくれたようにも思う。
色々な経験を通して、僕は全ての子どもたちに平等にガーデンを通した自然体験を提供したいと思うようになった。一度限りではなく、何度も経験することで子どもたちの土壌を肥沃にし、種を蒔く。何年後か何10年後かに発芽するかも知れないし、そうならない人もいる。しかしそのような原体験をした子どもたちは少なからず、ガーデンで経験したアクションを将来に継いでいくだろう。それが僕のやりたいことだし、僕のあるべき生き方にやっと出会うことができた。
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