ネイチャー兄さんの生い立ち(プロフィール)

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都会(郊外)育ちの自然大好きお兄さんです。一児の父親でもあります。

生まれ:東京 多摩地区
家族:同じ年の妻と娘ひとり(4歳)
趣味:トレラン、登山、素潜り、サウナ、ジム運動、IT関連、ひとり旅、キャンプ、娘と遊ぶこと
特技:余ってる食材で料理、英語そこそこ、問題解決力、
価値観:好奇心旺盛、楽観的思考、行動力、好きなことに集中する、チャレンジ精神、合理的、効率的

資格:キャンプインストラクター、NEALリーダー、ネイチャーゲームリーダー、船舶1級免許、スキューバダイビング、二輪大型免許

自然と触れ合うことと子供が大好き。
行動力があり、週末はどこかに出かけたくてうずうずします。
子供心と好奇心を持ち、大人だと躊躇ってしまうことも全力でやってしまいます。
探究心があるからいつでも自分で探索し発見することが好き。

僕を知ってもらうために僕の価値観を形成することになった人生の大きな5つの出来事を紹介します。

僕の価値観を形成した出来事

①少年期の自然体験活動

小さな頃から外遊びが大好き。
一日中、原っぱで虫と一緒に遊んだり、森を駆け回ったり、用水路でエビを捕まえたり。好奇心旺盛でなんでも興味を持っていました。(僕が子供の頃は近くにたくさんの原っぱがありました)
小学生になるとさらに行動範囲は広がり、始発の電車に乗り2時間かけて釣りに出かけたり、蛇を捕まえて飼ってみたり、とやってみたいと思ったことは全てやっていました。

小学生のときにサマーキャンプに行きました。
はじめましての人たちと泊まりで人生初キャンプでした。最初は緊張していた僕でしたが次第に友達とご飯を作る楽しさ、自由にやりたいことを何でもやる開放感、東京では見られない数えきれないほどのトンボの群れ、どこにでもいるカブトムシ、朝日の眩しさで目覚める感覚などを体験します。

そんな幼少期、少年期の経験から、自然への興味が沸き、好奇心旺盛な性格となりました。

②父親、母親、叔父からの影響

母親は〜しなさい、〜してはダメと言われることがなく、本当に自由に育ちました。
迷惑ばかりかけていたけど、いつも母親は「どうにかなるでしょ」「いいことがあったら必ず悪いこともあるんだから」と楽観的でいてくれました。

そんな考えが自分にも根につき、悪いことがあっても「なんとかなるさ」という楽観的な思考をすることになります。

父親は、いつでも自分の趣味にこだわりを持ち、その好きなことへの興味に対する集中力は半端ない姿を見てきました。
父親が釣りを趣味にしたときに、僕は一緒にどこにでも付いて行きました。
川から始まり、渓流、防波堤、船釣りへと発展していきました。
船釣りで出港して目的地まで6時間かかる外洋釣りにも挑戦しました。
外洋ってとんでもなく荒々しく終始ジェットコースターだったのは良い思い出であり、見たことのない自然界の脅威を感じた経験でした。
父親は好きなものにおいて足りないものは何でも自分で作りこだわりが強くとことん追求するタイプでした。
それを見て育った僕はやがて好きなものに対しての集中力や探究心が付きました。

叔父はいつも僕を遊びに誘ってくれてスキーや海釣り、潜り方などの外遊びを教えてくれました。
遊び心と行動力があり、いつもその元気はどこから来るのだろう?と不思議な気持ちと同時にこんな人になりたいと尊敬していました。
いつも無茶振りが激しく、車免許取りたての時に当時の最先端クロカンであるランクルで雪道と高速運転してくれ、と頼まれたり、と初心者スキーヤーだった僕に急坂上級者コースでお前一人で滑ってこい!と言われたり、船釣りしているときに落とし物したから潜って取ってきて(水深10mある!)と命令されたりでとにかく、マジかよ!!という命題ばかり言われました。
おかげさまで、ちょっとしたことでは驚かなくなり、逆に自分から未知の世界に飛び込むチャレンジ精神が身につきました。

③初めての飛行機に乗った瞬間が忘れられず

人生で初めて飛行機に乗ったのは高校2年の九州への修学旅行でした。
いままで家族旅行では車でしか出かけたことがなかったのです。

離陸するときの瞬間はいまでも鮮明に覚えているほど強烈なインパクトがありました。
轟音と共に急加速して頭が後ろに引っ張られ、あっという間にフワッと機体が浮き、外の景色はどんどんと小さくなり地図のようになってしまう。こんなに大きくて重いものが、こんな簡単に空を飛んでしまうのか。がやがや騒いでる同級生を横目に1人呆然と、衝撃を受けいつまでも雲上の空を見ていました。

そのときの感動から、大学卒業したら空飛ぶ機械を運転できるパイロットになってやる!と夢を持ったのですが、いま思い返せば飛行機を運転することに惹かれたのではなく、こんな大きくて重いモノが空を飛んでしまう不思議に好奇心が爆発したように思います。
なんでこんなモノが一気に急加速できるのだろう?空を飛べるんだろう?そんな不思議を理解したいと。

そういった、物理法則や自然界の原理原則の世界に興味が湧き、物理の世界にのめり込んでいきます。
大学模試で受けた物理の点数が予備校1位になるほど好きになり、楽しくなりました。

もっと物理のことを勉強したい。
好奇心から来るたくさんの不思議、その原理を突き詰めたいという思いが強くなり大学では物理学科を専攻することになりました。
さまざまな物事の謎、物質の原子まで観察して原理を知る。天体宇宙の法則を知る。
地球上のすべての物質や宇宙にいたるまで、その現象を一つの数式で表せることに驚愕し、心が踊りました。
一見複雑で不規則のように見えるが、全ての事象はシンプルな数式で表すことができる
自然界では無駄なことはせず、すべては合理的に自然と最短経路を通って目的まで到達することができる。
回り道はしない。どんな生態系も自分の存在とその役割があり、その目的に一生懸命だ。
自分の思考回路が定まってきたように思えました。
この学びにより、シンプルでありながら合理的であり常に最も良い効率で動くためにはどうすべきか、を考えるようになりました。

パイロットになりたいという夢は儚く破れてしまいましたが、航空機を製造するための構造解析をして、型式証明、耐空証明といった認証を得るための仕事につくことができました。

就職をすると自分で稼いだお金で海外旅行にも行けるようになり、北米から始まりアジア、欧州、北欧、中東と様々な国を巡ります。
いろいろな場所に訪れましたが、心躍る、わくわくぞくぞく、印象的に残るのは人工的な建築物ではなく、手付かずの自然の偉大さを感じたときでした。
人が多い観光地やショッピングよりも、観光客が誰も行かないような自然を体感しにいくことが好きになっていきました。

④インド人と、インドとの出会い

僕が配属された部署では、その職種が専門的なこともあり、職場には多くのインド人が在籍していました。そのほかにもシンガポール人やアメリカ人、ウクライナ人といった多国籍な環境の中で、初めての外国人との交流が始まります。
すると、いままでの日本の考え方や生活様式が外国では全く異なることに驚愕します。

たとえば、インドのほとんどの人が宗教的理由で肉は食べられないけど、日によってはOKな人がいたり、鶏肉だけはOKということ。
インド人という一括りでも地域によってローカルな言語が1000以上あり、同じインド人同士でも話せなかったりするということ。
インドはお見合い結婚が当たり前で、それを皆が当然のように受け入れていること。
肌の色や名前でその人の地位が分かってしまうこと。
首を横に振る仕草はNOではなくYESだということ。

インド人と仲良くなり、交流していくうちに、一人の仲の良い人に「結婚式に招待するからインドに来ないか」と誘われます。
初めてのインド旅行を兼ねてインドの結婚式に参加した思い出は今でも忘れることはありません。

全てが衝撃的で、今までの様々な価値観がぶっ壊れました。
よくインドに行ったら人生観変わるといいますが、まさしくそれでした。

その中で一番、心に残ったのが、「豊かさとは何か?」という問いに対しての答えです。
今までは、順当に昇進し、高い給料をもらい綺麗な妻と結婚し子供を授かり、綺麗な家に住むことが豊かであるという象徴と思っていました。
しかし、インドでは路上で暮らしているホームレスの子供たちが、キラキラした笑顔でこちらに向かってきます。
外国人が珍しいのか、持っているカメラが珍しいのか。警戒もせずにすぐに子供たちは僕によってきて話始めます。
そして一緒に遊んだり、ボディタッチをしたり言葉は通じないけどコミュニケーションをすることがとても嬉しいという気持ちが全身に出ているのです。
そんな触れ合いをしているなかで、本当に純粋な濁りがない笑顔を見た時に悟ることができました。

「豊かであるということはお金など関係ないのだ。心が豊かであることが本当の豊かさだ。」そう感じることができました。
日本で、知らない人に対して笑顔でニコニコ挨拶してくる子供は居ないじゃないか。知らない人と話したりしちゃダメだと教育されてきた日本人である僕にとっては大きな価値観の変化が生まれました

この経験から、僕は心が豊かになること、社会全体の人たちが優しくなることを目指していこう。と誓いました。

⑤震災とコロナ、その先にあるもの

学生時代、社会人時代で車の免許から始まり、船舶1級とスキューバの免許、大型二輪免許も取得します。運転が好きだったという理由もありますが、中学のときに受けた倫理の先生が「たとえば車を運転するということは自分の手足が車になるんだ。自分という枠を抜け出し、広がり、車全体がそのまま自分の感覚になるんだ」という言葉がとても印象的で、新しい乗り物になって自分の感覚が大きくなる体験を色々と試してみたい!という好奇心があったからだと思います。
バイクに乗ればその機動力と加速感、空気感が感じられることが好きであり、スキューバでは息をすることができない地上ではない不思議な世界を感じること、船は風と潮と波、それから天気への感覚が鋭くなる。そんな感覚の広がりを感じるのが好きでした。

クルージングしながらの釣りやダイビングをやったり、ツーリングや、トレイルランニングや登山でどこにでも行ったり、海山川関係なく自然と触れ合う瞬間が好きでした。
そんなアクティビティをしているとキャンプが出来るような道具も揃ってきたのでキャンプも趣味として始めます。
他の運動系アクティビティとは違い、ただのんびりとお酒を飲み、料理をして、焚き火をする。
社会人になっても自然と触れ合うことはやはり大好きで、日々の忙しさのなかで自然の中で休息することで心がリフレッシュされます。

そんなときに、日本に大きな出来事がありました。
東日本大震災が起きた時は、ただただ脚がすくみ、自然の脅威に怯えました。
文明の進化により人類は自然を支配し打ち勝とうとしていた矢先に起きた出来事のようでした。
一瞬で大きな街が亡くなり、エネルギーも失われた。
その瞬間、スーパーから食べ物は消え、信号機が消え、人間は普通に生きていくことすらできない。

「自然はコントロールできるものではない、打ち勝とうとするものではない」

そんな、メッセージのように思えました。今まで当然だと思っていたものが一気に覆され、自然は打ち勝つものでない、寄り添いあい共に生きていくものなんだ。と感じました。
それと同時に、人間界が自然界を支配しようとしたら、必ず何かしらの形で人間界を破壊しようとすることが直感的に思いました。
大災害で人々の意識は何かが少しずつ変わり始めましたが、いつも通りの日常を取り戻すと僕を含めやがてそれはいつのまにか過去のものとなり、ただ「悲惨な出来事」として歴史を刻み、あのとき感じたことが薄れていきました。
そのとき、ぼくは仕事の忙しさを言い訳にして、自ら何も行動しなかったことにずっと後悔していました。災害ボランティアでも、物資の支援でも、自分にできることは何かしらあったはずなのに、何も行動しなかった。それがずっと心に突き刺さっていました。

その後結婚をします。
幸せな生活をしていると、今度は自分の人生ではなく家族の人生を考えていくことにシフトしていきます。
子供が生まれると、さらに家族の幸せはできたものの、仕事、家事、育児に追われ常に忙しい日々が続きました。仕事での立場や責任も大きくなり、常にプレッシャーを感じながら安らぐことがありませんでした。
そして、いつのまにか自然と触れ合う機会も少なくなり、自分らしさが失われ心に余裕がなくなってしまったことに気づきました。
自分の大きな価値観である、自然や好奇心、行動力もどこか頭の角に追いやられており、それを引き出す余力も残っていないほど、体も心も疲弊していました。

インドで感じたあの感覚、思いは何だったのか。
こんな人生を望んでいたのだろうか。
この先もこんな思いで残りの人生を過ごすのだろうか。

新型コロナにより今までの生活はまた一変することになります。
自然の脅威にまた、人類がコントロールを失ってしまう出来事でした。
朝のワイドショーや夜のニュースはコロナの話題ばかりが続き、すでに1年が経ちました。
そこで改めて、あの震災のときに感じた思いや後悔を思い出します。

またこれは人類への警告であり地球からのSOSなんだと思うようになります。

いまの生活や浪費社会や環境破壊に対する意識の低さや仕事に対する考えを続けていてはダメだ、
いまの生活をしていたら自分らしさがなくなってしまう、こんな人生は望んていたものではない!
自分の人生を正直に考え、見つめ直すきっかけを与えてくれました。

本当にやりたいことをして、自由に、自分らしくいられること。
これからは素直な自分で、自然な自分でいられるための生活を始めようと決心しました。
そして、そのやりたいことが結果として社会貢献に繋がり、持続可能な社会への意識に繋がり、コロナで疲弊したみんなを、そして心が疲弊した社会人を、僕の力で少しでも役立ててもらうような活動をしたい。

お金がたくさんあって暮らしの豊かさよりも、心を豊かにして悔いのない人生にしたい。
自然と触れ合うことで心が洗われる。そうすると自然な自分でいられる。
人類は自然の一部である本当に理解できれば、自然と共存し、持続可能な社会に意識を向けることができる。

いままでの僕を形成した価値観をベースに、本当にやりたいことをやって人生悔いのないものにするために、のんびりと心豊かな暮らしをするための第一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのがコロナショックでした。
東日本大災害のときに何もできなかった自分に対して、もう一度チャンスを与えてくれた出来事でもありました。

ネイチャー兄さんはネイチャー思考を伝えたい

いまは35歳になります。
転職するには少し遅いけど、人生の折り返し地点に立ち残りの人生を精一杯、幸せに、心豊かに生きるために、全力を出すのはこれからでもまだ間に合うよ。と思い一歩を踏み出しました。

僕の転機はそんな自分の人生を振り返ることができ、自分を解放するために1人旅をした2020年12月の西表島ひとり旅でした。

通常ではカヌーでしか行けない滝を目指して、ガイドもつけず自力でルートを探す冒険をしているときでした。1人熱帯雨林の森の中で歩き、すぐ近くには獣の鼻息が聞こえ、足にはヒルが付き、突然の雨にビショビショになりながら増水した川を渡って生命の危機も感じながら心細く歩いていたときでした。

僕の価値観、人生観は「ネイチャー」という言葉に集約されている。

僕の人生には、常に自然が共存していて、自然を体感することで生きているという感覚が湧く。そして自然の偉大さや人類は自然の一部であることを実感する。

そしてそんな自然に触れ合い、共に過ごすことで本当の自然な自分でいられること。

僕のアンカーとなるモノはネイチャーであること。全てはネイチャーに繋がっていた、ということ。

それが自分の大きな価値観となっていることが、じっくりと大自然の中で過ごしたことで確信に変わっていく瞬間でした。

人類は今、自然と共存するという意識が現代社会には足りていないところ、あるいはこれから必要になってくる分野だと信じています。

環境問題や持続可能な社会が少しずつ浸透してきた2020年代は、この先あと10年で大きな転換期を迎えると思っています。
今までのやり方はもう通用しない。考え方や働き方を変えるべき時がきている。

少しでも自然や環境について意識をするだけで、結果として自分自身もネイチャー的に解放されストレスのない生活をすることができる。

僕は自然が大好きです。といっても僕は都会(郊外)育ちです。
田舎のような、本当に自然しかない中で育ってきたわけではありません。

しかし、僕は自然を愛しながら都会の中で育ち、その都会の人たちの変化を見てきたからこそ主張したいものがあります。

自然派志向であったりナチュラル志向という言葉もありますね。
しかしそれは一部のカテゴリ、たとえばライフスタイルや趣向だけに囚われないという意味では少し主張するものが異なります。

自然と共存する。それを感じて自然な自分となると自然と持続可能な社会に浸透できる考えを伝えていきたい。

僕はそれを「ネイチャー思考」と呼んでいます。

いろいろと挑戦しながら、手探りでまずは行動!絶賛人生改革中です。

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