シェアリングエコノミーの輪で生きていく

自然に生きる暮らし術
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シェアリングエコノミーとは、シリコンバレーを起点として2008年頃に誕生した。
その台頭と言えるのがAirbnbである。今では一般にも浸透した「民泊」というものだが、個人の遊休資産を有効活用し、必要としている人に対してその価値をシェア(共有)することで無駄のなくエコロジーであり、また双方がwin-winとなる経済圏である。

シェアリングエコノミーの経済圏が急拡大中

現在ではその市場規模が広がり、モノ、場所、スキル、サービスに至るまで様々な活用法がある。
日本でも特に浸透しているのが民泊やUberEatsなどの宅配サービス、自転車や自家用車のライドシェア、モノの取引のメリカリやヤフオク、未来価値を個人判断でシェアして誰でも資金を調達できるクラウドファンディングなどのお金のシェアなど、シャアリングエコノミーは身近な存在となっている。

そのような共有経済圏の様々なサービスの中で生きていく人をギグワーカーと呼ぶ。またはノマドワーカーなどの言葉にも似たような意味を持つ。

働き方の多様性が広がっていく中で、その最先端を走るアメリカの動向から数年遅れで日本にも徐々に伝わってきたシェアリングエコノミーが今後の世界経済を大きく占める存在になる。

これからの時代は所有することは時代遅れ!?

モノは所有する時代では無くなった。かつてはマイホーム、マイカーが一人前の証として皆が目指す豊かな生活の象徴でもあった。
しかし今ではその象徴はどんどんと崩れている。既に音楽や映画はCDやDVDを買って「所有」するのでなくサブスクサービスで「シェア」するのが普通になったように、車や家、その他所有物に対する固定概念は崩れつつある時代となっている。

身の回りの持ち物は必要な時に不要な人から借りれば良いし、車なんて乗りたい時に乗っていない人に借りれば良い。家なんてその時の家庭環境に合わせて必要な規模の家を使っていない所有者から借りれば良い。必要なモノはメルカリやヤフオクで買って不要になればまた売れば良い。
欲しい情報は商業サービスに駆け込むのでなくタイムチケットなどに代表される豊富なスキルをもつ人から安くシェアしてもらえば良いし、逆に自信が持つスキルを必要とされる人にシェアすることでお互いがハッピーになれる。

つまりは今までは企業が提供してきた商品やサービスを購入するだけだったB2C経済が、全てのモノやサービスは個人間での取引(C2C)になるということです。

C2Cビジネスが業界を破滅させながら新しい時代へ

このようなC2Cビジネスは過去の常識であった考えを破壊しイノベーションを起こすものでもあります。日本では法律や業界の反発により実現できていない「Uber」ですが、私がアメリカで6~7年前に体験したUberは衝撃的なものでした。
タクシー乗り場に行く必要もなく、今この場で乗りたい車を選んで「あと何分で到着するか」までアプリで把握でき、費用も事前に把握でき、アプリ内での決済ができる。しかもタクシーよりも格段に安く便利なサービスに衝撃を受けました。
これはつまりタクシー業界を破滅するサービスでもありました。また、タクシー業界が無くなったとしても既存の車で代用できてしまう経済だと証明が出来る瞬間でもありました。

アメリカでは新しいことはまずやってみよう、そこから法律を微調整すれば良い、という考えがあるためイノベーションが生まれやすく、市場の動きもとても早いです。
対して日本はとても保守的であり新しいことはまず慎重に検討し他国の様子を見ながら数年かけて法律を作ってからの運用になるため世界と競合することすら出来ないのが現状です。
個より集団を重んじ、新しい事はなかなか受け入れることが出来ない、大陸から孤立した島国文化が顕著に出ており、現状を変えたくないという現状維持バイアスが特に強い種族でもあることから近年の経済スピードに出遅れてしまっているのは当然と言えます。

シャアリングエコノミー社会の本質とは

そのような中で、2030年にはシェアリングエコノミー経済圏が大きなボリュームを占めるという予測がされている中、持続可能な社会を目指すうえで今僕たちはどのような行動をすべきでしょうか。

答えは簡単です。

昔のように人と人の取引をしながらお互いにハッピーな気持ちでいられる経済を目指すことです。
良いモノをずっと長く使えば良い。不要になってもまだ使えるのなら欲しい人へシェアしてあげれば良い。新車を買わなくても一時使うだけなら隣人とシェアすれば良い、モノが余っているのなら不要な人に譲ってあげれば良い。
皆がこの精神を大切にしていればこれ以上の生産や開発は不要になり、経済発展は緩めることにはなるが止めずことはせずに自然と寄り添いながら、自然と共生しながらの循環型な暮らしが実現できる。

それらは昔の人たちが行ってきた物物交換のような物であり、人々の生活は産業革命で進化した便利なサービスを使いながら、産業革命以前のライフスタイルへと回帰するのです。

シェア=共有は人と自然との共生であるも言えます。

地球全体のエネルギー(熱収支)は不変であるならば、全ての物事や現象はプラスマイナスゼロの経済となります。
僕個人の考えですが、経済成長とは過去数万年で蓄積された化石燃料エネルギーを過剰に消費し実現できている一時的な地球全体のアンバランスなだけであり、石炭として蓄積されたそのエネルギーを数十年の間で浪費してしまうのであればたちまち地球全体としてのバランスが崩れ、自然が破壊され、人間たちに温暖化や異常気象という形になって襲いかかってきているのだと思います。

種から育てた野菜は土や空気から栄養を貰い大きく育ち、人や動物に食べられ糞尿となり屍となり自然回帰し次の野菜の栄養となるような畑の自然循環サイクルがまさにシェアリングエコノミーにも似ている考えでもあると感じています。

そのような、結果として自然と寄り添う生活となる循環型経済の輪の中で生きていくことができればとても素敵だし、自然と文明社会が共生できる道なのかなとも思っています。


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