幼少期の自然体験活動が大きな価値観を形成する〔親の心構えについて〕

自然を感じる行動術
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大人になった僕たちは子供時代の経験や記憶を思い出すことってあまりないと思います。
少なくとも普段の生活の中で思い返すことってほとんどないですよね。
しかし、その幼少期や少年期の自然に触れ合った経験が潜在意識となって今の自分の性格や考え方、価値観が形成されていることを、ちゃんと認識し自覚することでもっと自分のことを知るきっかけにもなります。
そして結婚し、いずれ子供ができたときの育児にも大きく影響してくるものとなります。
「幼少期の自然体験活動が大きな価値観を形成する」とはどのようなことなのでしょうか。

子供が成長し大人になってからの価値観や大事な感覚を形成させていくために幼少期にどのようなサポートをしていかなければいけないのかについて説明します

社会の変化がもたらした様々な影響について

あなたが誕生して結婚し、子育て世代になるまでの期間を約30年間としましょう。
その、過去30年間の間にどんな社会的変化がありましたか?
あるいは生まれる前から変わりつつあったものでも構いません。

大きく変化したのは特に都会に見られる都市化、少子化、様々な意識の高まり、それと大きな技術の発達が挙げられます。
それらの変化により何が変化したのでしょうか。

  • 原っぱだった場所は住宅化され、道路はきれいに整備化された結果、身近に自然を感じることが少なくなってしまいました。
  • 核家族化され、地域のコミュニティは希薄化され家族外との触れ合いが少なくなってしまいました。
  • 公園ではルールに縛られダメなことが多くなり、遊具はどの公園も安全でつまらないものに変わってしまいました。
  • 外で遊ぶよりも有料の安全な屋内施設で遊ばせたり、自宅ではいつでもすきな番組が観れるYoutubeに夢中です。

その結果、子供たちは遊びや体験の場が失われ、本物を見たり体感することが無くなり、社会を生き抜く力の基礎力がなくなってきていると感じています。

みなさんの幼少期や少年期はどうでしたか?

今一度振り返って見てください。
いまよりも周りにたくさんの緑があり、土があり、虫がいて、そこで遊びませんでしたか?
どこにでもある空き地や、原っぱや裏山や河原で一日中遊び呆ていませんでしたか?
隣のおばちゃんにお菓子ももらって、公園で無茶苦茶な遊びをして怪我をしたり、ボールを隣家や道路まで飛ばしてしまって怒られませんでしたか?

そんな経験をしているのもたぶん、30年前だとぎりぎりの世代だと思います。
中にはそんなことには興味もなく、ただゲームボーイやファミコンをやったりしていた方もいると思います。
親に危ないからと言われ、何もかも制限されてしまっていた方もいると思います。

そのような自然の中での遊びが、いまの子供たちには体験させることが昔と比べたらとても難しい時代になってしまった、と感じています。
昔とは考え方も変わり、安全や危機管理が最優先となったことも社会の変化であり、それが子供が体験するべき自然と触れ合う機会を奪ってしまうことにつながっているのです。

その結果幼少期に必ず体験すべきことができずに大人になってしまうことで「生き抜く力」をうばってしまうことになります。それが社会の変化がもたらした子どもへの大きな影響となります。

生き抜く力とは何なのか。もう少し具体的に話を進めます。

親が子どもに体験させるべきこととは

子供時代に遊具もない自然の中で自ら遊びを考え、夢中になっていた記憶はありませんか。
幼少期に自然のなかでたくさん遊んだ経験がある方は、「ああ確かにそうだったよね」と納得してくれるかもしれません。

しかしそんな経験のある大人ですら、子供の頃こんな経験をしたという記憶を思い返す機会なんてなく、自分の子供に対しての育児に直結していないことがあります。

だから週末には面倒くさいなぁと思いながら子供を近くの公園に連れて行き、適当に遊ばせて自分はスマホをカチカチやって時間を潰す。少し遊んだら「もう時間だから早く帰ろう」といって急かす。

そんな親たちばかりが週末の公園にはたくさんいます。

自分の子供時代と照らし合わせることもないほど時間の余裕がなくなってしまった大人たちもまた、社会の変化による影響そのものです。

どのように遊ばせるべきか、何を体験させなければいかないのかなど考えることもなくなってきているのです。
僕たち親が、子どもに体験させるべきこととは何なのでしょうか?

僕が考える、自然を通して体験しそこから学ぶべきものを紹介します。

子どもの小さな挑戦と失敗を体験させる

子供が自発的に行う小さな挑戦、それが失敗する経験をさせてあげますか。

「あの木に登りたい!」と言われて「危ないよやめなさい」と言っていませんか。

子供たちはなんでも興味を持ち、本能的にやりたい言動にかられます。
そしてその好奇心から小さなチャレンジ精神が生まれ、行動力が生まれ、失敗を重ねることでリスク管理能力が育ってくるのです。

そんな子供たちの小さな挑戦を重ねることで生きる力や直感力が生まれてくるものなのです。

親の大人たちはそのような小さな挑戦をする機会を「危ないから、汚いから、時間がないから」という理由で奪っていませんか。

それをさせるのが怖いのは子どもではなく大人の方である

危ないこと、汚れること、を嫌がるのはリスクマネジメントや安全管理、衛生管理の意識の高まりから仕方のないことかもしれません。
また、防犯意識の高まりからこどもの自主性や自由に行動させることに心配してしまうのも仕方のないことです。

しかし、それを心配ばかりして大人たちが子どもの挑戦を止めてしまうのは本当の意味での子どもの成長を止めてしまうことにつながってしまうのです

「あぶないからそこから登るのはやめなさい」

ついつい言ってしまいますよね。見ていて怪我しそうで怖いから。
しかしその恐怖心は子どもではなく大人のものではありませんか。
その一言を言ってしまうことで子どもは挑戦することをやめてしまいます。
そしてその行為がどの程度危険なのかを体感する機会を奪ってしまっているのです。
その結果子ども自身が持つ本能的な直感力や危険判断力が成長しないまま大人になってしまいます。

極端な例として、
タワーマンションの高層階で育った子供は、その高さに恐怖心を抱かないといいます。
それは高いところから落ちたら危ない、という経験をしていないからです。
火を見たことのない子どもはガスコンロで調理をしている火やフライパンを触ってしまいます。
それは火は熱い、という経験をしていないからです。

その感覚がどれほど危ないかは分かりますよね。
そのような体験を「危ないから」という理由で奪ってしまっているのは僕たち大人なのです。

「汚いから触るのはやめなさい」

ついつい言ってしまいますよね。それを触ったら汚れるし衛生的にもよくないから。
その感覚は大人のものであり子どもはそう感じていないから触りたい、と思うのですよね。
その一言を言ってしまうと「これは汚いものなのだ、さわっちゃダメなんだ」と触ることもなく自分の経験則ではなく外からの情報により固定概念が形成されてしまい、それを自分で経験する機会を失ってしまいます。

その結果、虫や動物が触れない子どもとなり、そこから得ることができた感覚や好奇心を奪ってしまっているのです。

裸足で外を歩くことはダメだと言われ、足裏から伝わる大地の感触を経験することがないまま大人になってしまう。

その結果、上手な走り方やバランスの取り方を学ぶ機会を失ってしまいます。

泥んこになって遊ぶ楽しさ、裸足で原っぱを駆け巡る爽快さ、ダンゴムシの生態、野花の蜜の美味しさを知らないで全て「汚いもの」として認識してしまうようになるかもしれません。

あるいは、あまりにも清潔にしすぎて本来あるべき体内の微生物やバクテリアが育たずに抗体ができないまま大人になってしまい、逆に環境の変化に弱い体となってしまうかもしれません。

汚れた手でそのままオニギリを食べることで体が強くなるということは現代医学で教えることはありませんし衛生管理からしてもあり得ないことですが、実際はそれをすることで風邪を引かない強い身体が強くなることを知っておくべきです。

それをさせるのが怖いのは子供ではなく大人のほうです。
子どもは好奇心のまま行動します。いいたい気持ちは我慢し、体験させてあげてください。

リスクと楽しさは紙一重です

子どもはリスクがあるから楽しさを覚えるのです。

公園や屋内施設と違い、自然体験は相手が自然ですので安全なのかどうかは自分で判断する必要があります。
また、自然のなかでの遊び方は無限大であり、そのときの閃きでもあります。

これをしたら楽しいかも!と自発的に考え、好奇心が爆発し行動します。
その行動には大人たちからしたら危ないかも!と感じるものもあります。

しかしそこは子供が大きく成長するチャンスだということを忘れないでください。

優しく見守ること。
そして失敗をして多少の怪我をすることで子どもが自然と危機管理能力を学習し、「ここまでやったら危ない!」という自分の基準が形成されていくのです。

木登りをして1メートルの高さから落ちたって大丈夫なんです。
地面の土は柔らかいことを知る必要があります。
子どもは落ちた時にびっくりして泣くかもしれません、痛みを覚えるかもしれません。
しかしその失敗を経験するからこそ、危機管理能力が身につき、次からは慎重になることを学ぶのです。

親は、つい親切心と心配な気持ちから木登りをサポートし、手を差し伸べてしまいます。
それが子どもが成長する瞬間を奪ってしまうのです。
親切心という名のおせっかいですね。


だからといって無責任に放置してよいということではなく、親は命の危険があるかもしれない大きなリスクに対してはしっかりとサポートするようにしてください。
そこの線引きを大人たちも自然体験を通して身につけていく必要があるのです。

自然体験で育つ感覚と価値観を慣用句から学ぶ

「三つ子の魂百まで」

ということわざは知っていますよね。小さいことに得た経験は死ぬまで自分の価値観や生き方に影響してくるという慣用句です。

「可愛い子には旅をさせよ」

これも知っていますよね。愛おしい我が子はいつまでも近くで見守っていたいけど、思い切って突き放しなさい、という親の心情により子供がするべき経験を奪ってはいけないという慣用句です。

どちらも性格や考え方が形成される幼少期、少年期のうちに様々な経験をさせなさいということ説いています。

体験して自ら判断し、学ぶことを「非認知力」といいます。

非認知力は幼少期青少年期であるだいたい7歳くらいまでに学ぶ必要があります。
なぜなら7歳までの経験は全て素直に吸収され、潜在意識に刷り込まれるからです。

多くの自然体験をさせることで五感が研ぎ澄まされます。
好奇心が湧き、たくさんの不思議を自分で考えようとします。
失敗を経験することで直感力と判断力が育ちます。それが生き抜く力に変わります。
そして自分の将来の価値観となり、考え方となり、基盤となっていくのです。

待つ勇気を持つべき大人たち

「はやく〜しなさい」

言いますよね。

「ビビってないでホラいきなさい」

言いますよね。

それは大人が待てないからです。大人の事情です

子どもは子どものタイミングがあり、その心の準備をしているのに大人が奪ってしまっているのです。子どもが自ら勇気を出して一歩前進しようとしている機会を大人が奪ってしまっているのです。

それは今の社会生活とも関連していることです。
共働きとなり、核家族のため子供は夜まで保育園に預け、疲れ切ってお迎えにいった帰り際に「ここで遊びたい!」「歩いて帰りたい!」という子どもの言葉を無視し、拒絶してしまいます。

それは日々の生活で心の余裕がなくなった社会システムのせいであり、そうなってしまうのも仕方のないことです。
しかしその結果として影響を受けるのは僕たち大人ではなく次の世代を生きる子どもたちなのです。

忙しいなかでも「大人のペースではなく子どものペースで」行動をするように心がけることが大事です。
10分の通園時間が子どもに合わせると3倍になってしまうのなら、その分少しだけ早起きをすればいいことです。

待つ勇気と、子どものペースに合わせあげられる心の余裕を持つことです。

僕たちが次世代の価値観を育てるという意識をもつ

僕たちが大切にすべきことは何なのかをもう一度よく考えます。

安全意識の高まり、防犯意識の高まり、衛生管理の徹底によって何をするにせよすぐに「ダメだ」が出てきてしまわないよう、過剰になりすぎないようにすることが結果として次世代の子どもたちの大切な価値観を育てることに繋がるのです。

子育て世代の方は、次世代の価値観を育てているという意識もするべきです。
周りが〜だからと他人と合わせる必要などありません。
拒絶せず、好きなことを満足するまで見守るのが結果として子供の個性となっていきます。

親たちは適切に判断し子供をサポートしていく力が必要です。
そのためには大人が心に余裕を持つことが必要になってきます。
心に余裕を持つヒントはネイチャー思考をすること。自然を感じて自分を解放することです。
だから大人たちも一緒に自然体験し目一杯楽しむのです。一石二鳥ですよね。

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