35歳になって失ったモノと得たモノ

ネイチャー兄さんのテキトウ日記
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僕は2020年の終わりに差し掛かったころの、ちょうど35歳を目前に控えた時期に壊れてしまいました。

皆と同じように就職活動をして社会人になり、仕事も慣れてうまく回せるようになったころに結婚をし、その2年後には子供ができました。子供が1歳になった頃くらいにはマイホームも購入し、定住の地を決めて、仕事は順調に昇進をして不自由ない生活をする。

まさにお手本のような人生の歴史ですよね。

べつにそうしたいと思った訳でもなく、学校から、親から、友達からそうすべきと教えこまれていたし、それが当然だと思っていましたからね。そして、そんな生活が幸せであるとも思い込んでいました。

しかし、子供が2歳になった頃くらいから徐々に壁が崩れ落ちてきたのです。

共働きだった僕たちは仕事と育児に疲れ果て、お互いを支え合う余裕すらなく、ただ仕事に行き、帰り、育児家事をし、寝るの作業の繰り返しでした。

そこには幸せだという感覚がもはやありませんでした。
いや、正確には表面的にこれが幸せなんだという思い聞かせがあったのかもしれませんが、そんな生活は長くは続きませんでした。

業務上の上司部下との関係がうまくいっていたなかったり、昇進したことで求められる努力目標へのプレッシャーであったり、新型コロナによる急激な社会の変化であったり、もちろん家庭内でのストレスもありました。

気づけば、僕はかなりのメンタル的なダメージを負っていました。
定期的に通っていたジムは行かなくなり、睡眠障害も出てきてしまいました。

僕はあるとき仕事を投げ出しました。

きっかけは上司から言われた些細な叱責でした。

ダムが決壊したような感覚で、もうどうでも良い、全てを投げ出したいと感じ、上司に伝えました。
たくさんの業務を受け持っているしここで抜けたら皆に迷惑が掛かってしまう。そんなことすらもう考えられなくなっていました。

次の日から会社を休みました。長期の休養をもらうことになりました。

休み始めた最初の1週間は、会社に申し訳ない気持ちで辛かったですが、2週間も経つとそんなことは忘れてしまうのですね。不思議です。

その間は、本を読んだり、温泉で1日のんびりしたり、平日のお昼に行けなかったランチに行ったり、まともに出来なかった家事をしっかりやって専業主夫をしたりとした生活を送りました。
心に負ったダメージはなかなか深く、浮き沈みを繰り返しんがら、正常な思考に戻るまでは1ヶ月を要しました。

その時に35歳を迎えることになります。
妻が気を遣って誕生日には子供と3人で高尾山に行きました。
「3人で高尾山に登りたい」という昔からの願いが叶い、そして心がリフレッシュすると、ふと感じるものがありました。

僕は、社会人になって後ろも見ずに13年間突っ走ってきた。たったの13年だけど、人生で言うともう35歳。もう半分くらいの人生が過ぎてしまったんだな。

休養後のことは考えないようにしていたけど、なんとなく、このときにもう今の職場には戻ることはないのかな。と感じた。

今までのキャリアを捨て、積み上げてきた年収も捨て、本当のやりたい人生を歩むチャンスがきたんだな。

「お前にサラリーマンなんて続くわけがない」ずっと心のどこかで感じていたモノだった。けれどずっと仕舞い込んでいたモノだった。

自分で切り開く自分の人生をやりたかったけど、ずっと怖かった。踏み出す勇気がなかった。
だから今まで我慢してきた。
けれどその我慢は限界になっていた。
本当の自分が、休養をきっかけに少しずつ出てきたように感じた。

そう思ったら、自然と笑顔が出てきた。

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