人生の振り返りと新しい生き方について【part 3 : 下を向いて歩く。マインドフルネスの出会い】

ネイチャー兄さんのテキトウ日記
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仕事を辞めて、娘の保育園への徒歩で送迎するルーティーンをしながら初めて気付いたことがある。
それが、「ポイ捨てゴミの多さ」だった。

たっぷりと時間があった僕は、娘と歩いてゆっくりと保育園まで送迎をしていた。そこで普段だったら絶対に気づかない街の異変に気がついた。


「それは至るところにゴミが落ちている」ことである。一見してはキレイな道路であっても、少し端の歩道だったり生け垣を除くと、そこにはアルコールの缶やコンビニスナックの袋が落ちていることに気づいてしまった。さらに公園に行けば、コンビニ弁当の容器や箸、飲み物のパックまで端の方にたくさん捨てられている。コンビニに行けばゴミ箱があるのに、コンビニまで歩いて10秒のところにまでたくさんのゴミがポイ捨てされている。

そこで改めて気づく。毎日時間に追われて自転車で急いでいるときは目の前の変化、周りの状況を感じることは出来ない。いつの間にか自分や会社のことしか見ることが出来なくなってしまった私は身近な社会で起こっている変化に全く気づく余裕すらなくなってしまってしたこと。

それは娘と外で遊ぶときにも感じられた。いつの間にかアスファルトで覆われてしまった大地が多すぎて自然と触れ合う環境が無くなってしまっていた。幼少期のときは至るところが空き地で原っぱだったのに、今は宅地で覆われ公園ですら舗装されている。

そんなことすら今まで気づく余裕が無かったことに気づく。
良い将来にするために必死で「上を向いて歩こう」としていたのに、それは「ゆっくり下を向いて歩く」環境となることで初めてその違和感を感じることができた。

普通に社会人として働くことは、周りの情景が見えなくなってしまうほど不自然なものなのだろうか。

今思えば、社会人時代の2013年頃だと思う、突然トレイルランニングにハマり、それを入口として登山が趣味になった。山や森に入っている瞬間だけ心が安らぎ、この世界のなかの一部であるような感覚つまり外の世界を意識できる瞬間に癒やしを感じるようになった。
癒やされるために自然に触れ合い、心をチャージしてから再び現実社会に戻り心を削る生活をする。
この違和感は当時微塵も感じることは出来なかったし、そんな生活が当たり前だと思っていたけど、今思い返してみると本当に歪んでいたし、幸せな暮らし、豊かな暮らしってなんだろうなんて思うこともなくただ奴隷のように働き、対価としての金が増えていくことで狂わされていたような感覚がある。

そんなことを思い始めるきっかけにもなったのが2012年のインド一人旅なのだけれど、これはまたどこかの機会に置いとくとして。

とにかく、会社を辞めてゆっくりとした時間を取り戻したことで本来の人間としての時間軸になったおというか。スピードを上げた車に乗っている人の視界は狭くなってしまうのと同じで、どんどんとスピードアップする資本主義社会の違和感に、その車を降りてみて初めて気づいたような気がした。

下を向いて歩けば、今の社会の問題に気づくことができる。

そのように感じた2021年の1月であった。

会社を辞めてから、少し心を病んでしまったこともあり自分を取り戻すワークとして始めたことがある。それは「マインドフルネス」だ。
いつどこで出会ったのか思い出せないのだけれどきっともっと昔から知っていたが興味も無かったのだろうと思う。しかし退職してから引き寄せられるように興味を持ち、マインドフルネス瞑想にふける日々が始まった。

マインドフルネスや瞑想とは何?から始まった僕だけど、あるアプリで瞑想を体験することで深く興味を持ち毎朝の日課になった。「Meditopia」というのだけれど、サブスクになり課金してまで価値のあるものだったと思う。過去や未来でなく、今この瞬間を感じて今を生きること、そんな考えが定着して結果として心身ともに良い結果をもたらしてくれたから。

僕たちは今を生きているのに、なぜいつも過去の失敗や未来への不安に心が支配されているのだろう。いつもマインドフルネス瞑想をしたあとは心のもやもややざわつきがスッキリすることが出来て、ポジティブで前向きに進むきっかけを与えてくれた。

そんなこともあったからすぐに立ち直りポジティブに行動していくことが出来たから、どん底のタイミングでマインドフルネスに出会えたことは運命だと思っている。

なんだろうな。今まで僕は楽観的でいつでも前向きな性格を売りにしていたけれど、実際のところ心の中ではいろんなことを考え周りの目を気にして好かれるような行動を自然と振る舞っていたから自然と楽な道を選んで生きてきたんだと感じる。楽観的というか、実は波風立てない方向に進む、忖度して進むことが根本にあったからトラブルがない人生になっていたんだと感じる。
楽観的なようだけれど、実はそうゆうところでは繊細でいつも周りを気にしていたのでは。そんなことに気づいたりもしたのがマインドフルネスだった。
自分自身について知る。どんなことを考えているのかを知る。そんなことすら今まで真剣に考えず生きてきたんだと知る。

そんなことを気づかせてくれたのもマインドフルネス瞑想だった。

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