地球温暖化は人間が排出する二酸化炭素が原因?

自然に生きる暮らし術
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環境事業の一環として、かんきょう講座に参加しました。
地球温暖化に関する様々な考え方についての発表があり、主にいわゆる「懐疑派」についての知見についてまとめたものでした。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は今年2021年、第六次評価報告書にて人間が地球を温暖化させてきたことに疑う余地がないと表明した。

IPCCとは世界気象機関(WMO)及び国連環境機関(UNEP)により1988年に設立された国連の組織であり、その任務は各国の政府から推薦された科学者の参加のもと、地球温暖化に関する科学的、技術的、社会経済学的な評価を行い、得られた知見を政策決定社をはじめ広く一般に利用してもらうことである

気候変動を調査している国際機関がこのような発表をしたことに対し、「地球温暖化は人間が排出した二酸化炭素による影響ではなく、様々な他の自然現象要因によって起こっている、あるいは温暖化などしていない」などのような懐疑論の存在についての多方面からの主張(文献や論文)をまとめました。

地球温暖化懐疑派の存在について

温暖化の科学的知見に対する議論・疑問

地球温暖化は、まだその基本的問題さえ解明されていないので、純学問の問題に戻すべきだし、IPCCはそもそも学会ですらない。(赤祖父俊一)

「地球温暖化が起こっている証拠に疑う余地がない」という態度は全く科学的ではない。
そもそも世界の年間平均気温が正しく測れるのかは疑問だが、もし測れるとしても過去150年間に0.8度の変化というのは驚くべき安定というべきではないか。(ノーベル物理学賞受賞イヴァル・ジェーバー)

温暖化問題を議論するための基礎がまだ成立できておらず、あくまで推測であるということです。

温暖化の原因に関する懐疑論

気温を決めるのは主に水蒸気と雲だからCO2が2倍、3倍になろうと状況はほぼ同じだ。(ニュージーランド、オークランド大教授ジェフリー・ダフィー)

気候変動の要因つまり変数は数百もある。政治的に選んだひとつ、CO2に固執する対策など見当違いも甚だしい。(ロンドン大学名誉教授フィリップ・ストット)

物理法則をもとに考えると、気温を左右する要因のうち人為的CO2のパワーは、太陽活動をはじめとする自然要因に埋もれてしまう。(米国気象学会元会員ロバートスコット)

うーむ、言われてみれば、確かにそうかもしれませんね。全ての自然現象は推測できないほど様々な事象から起こっているのになぜCO2だけこんなにも悪者扱いされているのでしょうか。

炭素循環に関する議論

近年観測されている大気中CO2濃度の増加の原因は人為的に放出された化石燃料の燃焼によるCO2放出であり大気中のCO2濃度の上昇によって気温が上昇するというが、それを証明するための数値シミュレーションで大気中のCO2濃度の上昇による気温の上昇という現象は存在しない。(”環境問題を考える”を主宰 近藤邦明)

そもそも二酸化炭素が増えたから気温が上昇したのか、気温が上昇したから二酸化炭素が増えたのか、コロンブスの卵のような議論をしているほど基本的問題が解明されていないということですね。

予測内容への批判

地球温暖化の総合評価モデルを開発したウィリアムノードハウス氏や、気候変動モデルを開発した真鍋淑郞氏などが近年ノーベル賞を受賞している。温暖化の計算により定量化したが、その計算は多くの便宜上の過程を置いたものに過ぎず、その後の多くの研究でも将来の予測は誤差がおきいままだ。(キャノングローバル戦略研究所 杉山大志)

たしかに、だって天気予報ですら1週間後の天気なんてほとんど当たることないし、予報としても晴れかな、雨かな、くらいの精度ですよね。
新型コロナウィルスの感染者数予測なんて、1ヶ月後の数値傾向が当たったことないですよね。
そう考えると不確定要素変数が無限にある地球規模の予測なんて本当にできるの?と思ってしまいます。

IPCCに対する批判

IPCCは温室効果ガスによる地球温暖化を前提に作られた組織であり科学的中立であり得ない。

報告書の「要約」がまず発表され、その4ヶ月後に要約の大義に合うように本文が作成される。IPCC報告書は本来気候変動についての科学的論文を収録し客観的に評価することを目的としているのだが、実際はCO2温暖化論の宣伝文書になってしまっている。(深井 有)

ガリレオの地動説も、進化論のダーウィンもすべて長い間批判にさらされながら最後には現代科学ん最も重要な基礎知識となっている。科学がその時代の多数決で決めるものでないことは数々の歴史の時間が証明してきた。
「多くの科学者がCO2温暖化説を支持している」ことだけを根拠に自説を強弁してきたIPCCが反論をすべて圧殺するよう学会誌に呼びかけ、政治的な弾圧を加える事実を見るだけで彼らか科学の心を持たない中世の宗教裁判官と同じ醜悪な虚栄集団であることが実証された。(広瀬 隆)

IPCCは人為的な気候変動をリスクと決めつけどんな影響があるのかを考える機関であり、温暖化が事実かどうかを問う姿勢はない。すると、人為的CO2温暖化が大問題でないとわかった瞬間にIPCCは存在意義を失う。だから組織の存続には温暖化は危ないと叫び続けなければいけない。(渡辺 正)

人間による気候変動がどの程度地球にインパクトを与えるのか、IPCCの見解が全て正でありその指標に従って行動するべき、という固定概念がありましたが、もしかしたらそんな情報操作で我々が操られているのではないか?という話ですね。

政治的圧力・陰謀説

ある研究者集団は米国科学アカデミーから6億円ほどの研究費をもらい「排出権取引法」成立のロビー活動に使っていたことが暴かれて批判を受けた。(マーク)

CO2排出権取引法は既に米国では大きなビジネスになっていますよね。従来から麦畑農業をしていた人がCO2排出権により何億円もの利益を得たとか、EVのテスラは自動車の運転でCO2を排出しないから、CO2排出権取引において莫大な利益を得ているとか。少なくともお金が絡む何かしらの政治的意図がありそうですよね。

温暖化は仮説からスタートしている

このように諸説あるなかで、少なくとも20世紀後半からの温暖化は二酸化炭素が原因という人為的排出二酸化炭素温暖化説は、数学の定理のように厳密に証明されたものでなく科学の議論の大部分と同様、仮説である。その信憑性を否定するような観測事実は皆無に等しく、今私たちに求められているのはそのような状況のもとで予防原則に基づいた政策的判断によるリスク管理なのである。

温暖化は嘘かもしれないし、本当かもしれない。ただし、今のところ嘘を裏付ける証拠は全く確認されておらず本当を裏付ける証拠はいくつも確認されている、ということですが、あくまでまだ仮説段階であり、どちらが真実なのかどうかは断定できず、温暖化は人為的二酸化炭素排出による影響だ、と決めつけるのは時期早々であり、まだ議論の余地があるということなのかもしれません。

各国のエネルギー事情について

産業革命により生産力の高い西欧が、資本主義のもとで近代化を進めた。その考えにより植民地化を進め、経済発展を強制化させた。
その結果、従来の経済発展をしない循環型の定常型経済から脱却していくことになった。

第二次世界大戦以降、そのような植民地はそのほとんどが独立を果たし資本主義社会を目指す発展途上国となった。それら発展途上国はエネルギーを必要としており、国づくりを始めるにあたり風力や太陽光発電と言った不安定な発電だけに頼れずにはいられないという現状がある。

途上国からすれば、西欧により資本主義化され独立したとたん、先進国が排出したCO2の為に何故カーボンゼロを強いられなければいけないのか。途上国からすればこれから多くのエネルギーや、貧困飢餓やインフラ整備など解決しなければいけない多くの問題があるではないか。
と声をあげ、最終的に先日のCOP26の共同合意宣言で、当初の2030年目標に対しての議長案に大して大幅に表現が弱められてしまったのも、途上国の立場からすれば納得できる面もあります。

地球をいかに次世代に残すか

現在ん資本主義の仕組みは間断なき成長が不可欠であり、漕ぎ続けなければ倒れてしまう自転車と同じであり、その成長を求め続けるのであれば化石燃料を燃やすか原子力発電をして莫大なエネルギーを生産し続けなければいけない。先進国はその環境負荷を外部の途上国に転嫁しながら自然と人間との収奪をおこなってきていた。

人口が爆発的に増え、今や途上国までエネルギーを必要とし経済発展を求めているなか、その受け皿がなくなり、限られた資源も指数関数的に搾取されていく未来は容易に想像できるだろう。

そのような状況で、地球を存続させ次世代まで残すために、新たな文明社会を目指し大きく考え方を転換(パラダイムシフト)していくことが必須である。

それは今の資本主義でもなく共産主義でもない、それに代わる文明を構築することであり、その新たない文明を構築していく転換期になっている一つの原動力となるのが今のカーボンニュートラル政策なのかなと思います。

僕自身の考えですが、人為的CO2排出が温暖化をもたらしているかどうかは、どうでも良く(中立的な立場であり)、すくなくとも経済発展のために多くの自然環境が奪われている事実は変わりようがありません。
そのような過去の過ちを考え直し、環境に負荷を与えないための政策としてカーボンニュートラルに対しては賛成です。

そのような、新しい文明を気づいていくためのヒントとしては、やはり自然との共生が必要不可欠と思います。
日本では古来から自然を克服しようという西欧の考えよりも、自然と融合し共生していく環境でありました。そのような意識は、今となっては薄らいでいる現状ですが日本人が持つ精神はずっと伝承されていると信じています。たとえばそれが「もったいない精神」であったり「外に求める物欲の文化でなく内に豊かさを求める文化」が日本人として発信していくべきこれからの文明だと思っています。

日本は人口が減少しており経済発展も見込まれずデフレやスタグフレーションに陥っているなか、それを脱却できるのはより一層の経済発展ではなく、「脱成長」の文明が日本の生きる道であると個人的には思っています。

今回の講義を受けての感想

僕たちは昔から二酸化炭素による温暖化が進行していると教科書で刷り込まれ、子どもの頃から温暖化は人間の仕業だと刷り込まれ、あたかもIPCCの言うことが全てであり正しいといった固定概念が当然のようにありましたが、はたしてそれは政治的に、意図的に刷り込まれているだけなのではないか?安直にメディアや一般論を信じて良いものなのか?と疑問を持つきっかけとなりました。

それが真実であろうと嘘であろうと、そのように主張する思惑があり政治的思想があり、こうであってほしい要望からきている議論のぶつかりが今も絶えていない、あくまで決定されていない議論なのだということを知る講義となりました。

なんだろう、どの政党を支持するのかのようなお金やビジネスが絡む政治的要素が多い気もしました。
また、これはあくまで持論ですが、発展国は発展国のままにして先進国は今の立場をキープしようとするための政策でありそのために政策転換を世界に求めているのか??とも思います。
表向きは二酸化炭素による温暖化防止、しかし真意は経済発展のため環境への負荷の受け皿(途上国)がなくなってしまえば経済が破綻してしまうことを恐れているのではないのかなと感じてしまいました。

しかし、先ほども申し上げた通り、温暖化が二酸化炭素が原因かどうかはどうでも良くて、少なくとも人間が環境を汚染しているのは紛れもない事実であり森を切り裂き自然界がダメージを受けている事実には変わりないし、限りある資源を大切にして、環境にやさしい政策に向かうこと、カーボンニュートラルを目指し人間が住むことで自然へのインパクトをなくしていくことには賛成という立場であります。

現状の事実を見ると、国別CO2排出量や一人当たりCO2排出量は日本はトップクラスです。
世界のなかでもそれだけ資源とエネルギーを無駄遣いしているという認識はすべきであり、一人一人が環境を意識する文化が発展していけば良いなと切に思うわけで、僕なりに感じその道に進んでいくことが間違っていないと改めて認識できましたし、それを発信すべき責任があるとも感じました。

それにしても、今回のかんきょう講座ですが、参加者は約30名いたところ60歳以降が29人、僕一人が唯一30代でした。
まだまだ環境への意識は全く浸透していないし、興味がない人が大半なんだな、と実感した講義でもありました。

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