市民農園を借りたら生き方が変わった話

ネイチャー兄さんのテキトウ日記
AD

2021の4月から自宅近くの市民農園を借りて早くも2年が経ちました。
あっという間に2年が経ち、その間にたくさんの変化がありました。
また、その自身に起きた大きな変化はこの市民農園から始まったとも思っています。

農から始まり、農で生きる暮らしの始まりだったように思います。

なぜ農に興味を持ち始めたのだろう。今は振り返る時間が必要だと感じ、文字に起こそうと思います。
農を本格的に関わり始めた当時は人生を見つめ直す時期でもあったのだけれど、なぜそのように思ったのだろう。人は一般的に現状維持バイアスが働き今の暮らしを変えたくないと思う。得てきたものを捨ててまで変化したいとは思わない。

市民農園を借りた理由は、当時は深く考えていなかったように思う。しかしきっと直感で何かを感じ取っていた変化の兆しだったように思う。だってそれ以前は野菜に興味すらなかったのだから。
または、妻は栄養士という職業柄ということもあり食や添加物などには敏感で、出産してからは特に無添加、有機、脱プラなどのワードで行動し始めていたし、自分も育児をするなかで野菜を自給することの大切さを認識してきたのかもしれない。
あるいはまた、妹が農業をしていたことや、義兄が茨城で山を買ったなどに触発されたのか、あるいはそんな遺伝子が組み込まれていたのか。
コロナ渦というタイミングで世論的にも精神的にも不安定だったからかもしれない。
航空業界という資本主義経済と景気や世界市場が左右される最先端で働いていたから、その将来に対する矛盾に気づき始めていたからなのかもしれない。
働き詰めのファストな社会に疑問を抱き、スローフード運動に共感し、自分も植物の成長と同じスピードで生きたいと感じたからなのかもしれない。


ベランダでやる家庭菜園からもう一歩踏み出し、市民農園を借り、それから農に関わる仕事に付き、現在に至る。そして、また新たなステージに進もうとしているこの現在は、過去の行いや選択、経験がすべて繋がり今に至るという感覚がとても強く、とても不思議な気分でもある。

ひとつ言える事は、自分の信じた道を選択し、行動に移すこと。それが出来れば向かうべき道筋に導かれていくチャンスを引き寄せることができる、ということ。

市民農園が2年の満期で返却となる今、その役目を果たした農園とは別れを告げ新たなビジョンを抱え進むことになる。

市民農園を借りたことで変化した大きな点がふたつある。

ひとつは、何でも自給してみようという意識が根付いたこと。すぐお金で解決するのではなく自分でやろう、作ってみようという意識が定着したように思う。

ふたつめは、常に頭には畑、野菜、子ども、それに関わる暮らしのことがグルグル巡っていたということ。それは良い意味でつまり生活の中心あるいは一部に取り込まれていたことが本当に生き方を変えていくための刺激が常にあったこと。
「自分の畑がある」という意識だけで、自分がなんとか育てていく、という自分ごととして真剣に向き合うことができたのは大きい成果だったように思う。


農に触れることで生き方が変わるのだ。
農はリタイヤした後の趣味でやるものではない。
料理やお風呂に入るのと同類で生活の一部であるべきなのだ。

そんな感覚が芽吹き、枝分かれ的に多岐に渡る分野にリンクすることで広がり、自身に吸収される。
それは生き方や、社会や、政治や、土や、働き方や、倫理観、価値観だったり。

なんだか、全ては自然から学ばされて今の自分が再構築されているような感覚を味わっている。

僕は、そのような感覚を適切に言語化することは得意ではないので、なかなか伝えることが難しいのを前提として、仮にこのブログまで到達し読んでくれる人がいるのだとしたら言いたいことがある。

何事も、全ての因果は自分の行いや思考から来ているものであり、自分ごととして捉えることが出来たらどんどんと良くなっていくだろう。決して他人に押し付けていても何も良くならない、だって他人をコントロールすることは出来ないんだから。

「わたしたちはどう生きるのか」

きっとほとんどの人が真剣に向き合おうとしないこの問いを、僕は農を通して向かい合うことが出来た気がします。

市民農園は一旦返却し、次回利用は見合わせることにしました。理由はまた別の記事で、まとめます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました