現代の小学生が自然観察に行くと「あつ森みたい」と感想を言ってしまうことについて

ネイチャー兄さんのテキトウ日記
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今月、約80人の小学3年生の子供たちに対して環境学習の一環としての自然観察講師を務めました。
小学生の学習カリキュラムとして環境学習プログラムが計画されており、環境保全団体のNPOに属していた私は初めて参加しました。

おおよそ2時間かけて野外で樹木、野草、昆虫の観察をしてその生態や特徴を知り、また実際に自然体験活動をすることで非認知力を養うことを目的としている総合的な教育でした。

コロナにより学校のイベントなどが長期間中止されていたこともあり、生徒たちは久しぶりの野外活動ということでほとんどの生徒たちは自然に触れ合うことに夢中で何に対しても好奇心が湧き、走り回っている姿を見て嬉しくなりました。
導入時に好奇心を持ってもらうための少しばかりの学習指導をして、その後は自分で「なんだろう?」と考え自由に夢中に行動し始めてからはただ見守っているだけ、のような授業でしたが、それでも最後には全員が大声で「楽しかったー!」と言ってくれたことにやりがいを感じました。

このブログのタイトルにもあるように、この活動中に生徒たちからとても衝撃的だった発言がありました。
虫取り網と虫かごを持ち、トンボやバッタ、蝶々などを捕まえていると、そのうちの一人が「わぁ、なんかこれってあつ森みたいだね」と言い出しました。そしてそれに賛同した他の生徒たちも「あつ森の世界にいるみたいだね」と共感していたのです。

あつ森とはご存知かもしれませんが「あつまれ動物の森」という任天堂の大ヒットゲームです。
あつ森をプレイしたことがないのですが、内容的にはアバターを使い自然のなかで魚を釣ったり動物に出会ったり、友達と会話が出来たり、、という内容と思います。
今の生徒たちほとんどが「あつ森」にハマっていて、「あつ森」の中のバーチャルな世界が日常であり、今回のようなリアルな野外学習が「あつ森みたい」であると思っているのです。
バーチャルとリアルが逆転していることに衝撃を受けてしまいました。

ちなみにここは東京の郊外です。都心とは離れているため住宅街ではありますが少し歩けばまだたくさんの自然、森、河川などに触れ合うことができる地域です。

目の前にそのような自然があるのに、日常でそのような自然のなかで遊ぶこともせずに大多数の生徒はゲームの中の「あつ森」に夢中になっていたのです。(生き物に詳しい子も中には居ましたがかなりの少数派です)

学校の隣に大きな河や森、湧水があるのに、「初めて河川敷に来た」「こんなところにトカゲがいるなんて知らなかった」「湧水ってこんなに冷たいんだ」という初体験をする生徒も多かったのも印象的でした。

自然体験が十分に出来ていないとの印象を受けましたが、しかし同時に自然に対して興味がないわけではなく、大人が一緒に連れ出してあげればそこで元気よく走り回りなんでも興味を持って行動してくれることも印象的でした。自然の中での遊び方を知らなかっただけで誰一人として「つまんない、早く帰りたい」なんて子供は居ませんでした。

都会に住む子供たちはどうしても自然と触れ合う機会が減ってしまうのと合わせてコロナによる外出自粛も影響しているのでしょう。
生きる力などと言われる非認知力を育む大切な時期にそのような体験が出来ず、何も知らず、考えず、興味を持たず大人になってしまうことは少なくとも僕たち大人の責任でもあります。
大人の都合で安易に全て中止、閉鎖、延期され子供が成長する機会を奪ってしまっていることにとても憤りを感じています。
なぜ運動会が中止されオリンピックが開催されるのか。なぜ野外活動にも関わらずマスクが必要なのか。誰も責任を取りたくないから、安心安全が第一という言い訳のもと子供が一番の被害者になっているのです。
聞いたところ、今回の野外活動は2年ぶりということでした。2年間、自然に触れ合うような活動は一切なく、小学校3年生の子供たちは小学校1年生以来の野外活動だったのです。

初めて環境学習に講師として参加して今の子供たちの状況について知ることができました。
まさに今の子供たちはコロナ世代。手を握りあうことを禁止され、ぐちゃぐちゃになって遊ぶものなら密は避けてと言い聞かせられ、どろんこのまま食べるものなら消毒してからと徹底され、大声を出すのを禁じられ、全てはオンラインで完結し、自然体験でさえバーチャルで満足してしまう世代となってしまいそうです。
そのようなニューノーマル、ソーシャルディスタンスを言い聞かせられ、何がだめなのか考えることもなく今では自然と子供たち自身で積極的に、見えない敵相手にその感染防止ルールを徹底しています。
誇張して言えばまるで「1984年」「すばらしい新世界」に代表されるディストピア小説の世界ようです。

感染防止に躍起になっている大人たちはこの事実を理解しているのでしょうか。
子供たちの感染者数や重傷度合、死亡者数などを本当に理解し適切な指導をしているのでしょうか。
コロナに関わらず、少しのリスクも残っているものなら全て排除しなくてはいけないのが現代の考えです。多くの声を聞き、全てを考慮した安パイを取らざるを得ない立場なのもなんとなくわかります。

しかしその方針に従った結果、どのように変わったでしょうか。
禁止事項ばかりで何も出来ない公園、安全性を突き詰めたつまらない遊具、個人情報保護が暴走しすぎてクラスの親同士すら交流が出来ない状況と同じです。

何かあってからでは遅い。リスクゼロ、ハザードゼロの世界では子供たちは成長する場が奪われます。危険を察知し、時には怪我をする経験をすることで生きる力を育むことができるのに、大人たちがそれを許容することが出来ない状況になってしまいました。

いまさら非難ばかりでも仕方がないので、この記事ではここまでにしておきますが、僕が思う一番な大事なことは僕たち自身の保身ではなく将来を担う子供たちです。
子供たちの将来のことを第一に行動するのが大人の責任だと思います。子供はまだ一人で行動する自由、選択する自由を与えられていません。大人が適切に指導し、教育し、その子どもたちの将来の可能性を広げるための責任が僕たちにあると思っています。

ゲームは楽しいです。僕だってファミコン世代でした。しかしそれよりも外で遊ぶのが好きでした。
コロナの影響だけでなく、ゲーム世代の大人たちが親になっているという影響もあるのかもしれないですね。社会全体のの考えや方針が変わった影響もあるのかもしれません。

それでも僕が感じてしまうものは、責任と取りたくない、仕方ないと言い聞かせる大人たちのもとで制限された世界で生きなくてはいけないのが今の子供たちであるということ。

そんな中でも、今回のような自然体験活動によって好奇心が湧き新しい領域に興味を持ち自ら行動していける原動力となったのなら僕は大変満足です。それを確証する術はないのだけれど、それでも環境学習が終わった後の笑顔で「楽しかったー!」に込められていると感じました。


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